高野山リンク集

高野山リンク集”奥の院”其の弐

高野山奥の院

高野山は、遣唐使として唐へ渡った空海(弘法大師)が開いた真言密教の根本道場である。高野山は和歌山県伊都郡高野町に あり、町全体は山に囲まれている。国道24号線から高野山道路を登っていくと、大門に始まり金剛峰寺を経て空海の眠る奥 の院御廟まで、道路の両側に寺院が建ち並ぶ。標高800メートル、周囲を深山に囲まれ東西5.5キロ、南北 2.3キロの山上盆地 だ。弘法大師・空海は 20歳で出家し、31歳の延暦23年(804年)、唐に渡り、都・長安で恵果和尚より正統密教をきわめ、 8人目の阿闍梨遍照金剛の称号を得、大同元年( 806)に帰国してから、真言密教を全国各地に広めた。日本のあちこちに弘 法大師逸話が残っている。嵯峨天皇より高野山を賜り弘仁7年(816)開山、これが高野山金剛峯寺の初めと言われている。 それから20年後、大師は62歳の承和2年(835)3月21日に入定し即身成仏となり、今も奥の院御廟に葬られている。 空海の死後も、高野山自体は勢力を伸ばし、戦国時代には相当の所領(約16万石)を有した寺領権力となった為、織田信長 はこれを焼こうとしたが果たさずに本能寺で果てた。高野山は豊臣秀吉に屈し、所領2万石33万坪を安堵されて生き延びる。 徳川時代も幕府の庇護の元に、諸大名達の墓所として栄え今日に到っている。 金剛峰寺は霊宝高野山の総本山として栄え、現在では全国に4000余りの末寺を持つ。大広間、柳の間(豊臣秀次は、ここ で切腹した。)、梅の間等々の部屋には、狩野元信、探幽、探斉らの襖絵があり有名である。本坊以外にも、別殿、奥殿、新 書院、茶室等の建物があるが、現在の本坊は、文久3年(1863年)に再興したもので文化財となっている。

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