高野山”大門”
高野山に参詣するには、「高野七口」といわれる七つの登り口があった。この大門口もその一つであり、高野開山の当初から開かれ、弘法大師が御在世の頃、都への行き返りにお通いなされた表登山口である。
その当時、山麓に一院を設け、ここjに政所を置いてふもとの拠点とされた。これが今の慈尊院である。ここには大師の御母公がしばらくお住まいになり、この地で入寂なされた。また中腹の天野神社には、高野山の地主神がまつられて、共に高野山とは不離一体の深い関係にあった。ゆえにこの口は、山の上下を結ぶ大きな役割をしていた。
またこの口は、数回にわたる天皇の行幸、将軍の登山など、表登山口として栄光の歴史を持ち、1000年余り栄えてきた。しかし明治の中頃から、不動坂口の方に交通機関が開けたため、この登山口次第に寂れ、ついには表参道に雑草が茂り鎌倉時代に建てられた町石のみが昔を語る状態となった。それから約50年の歳月が流れ、昭和36年、道路公団により新しく古沢谷から自動車道が開かれて今は車による多くの登山者を大門が迎えている。
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