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串本、温泉、観光MAP  

本州最南端の町、ここは串本向かいは大島仲を取り持つ巡航船
今は大橋がかかっています。観光地は海中公園、潮岬灯台、橋杭岩等

串本海中公園


海中公園は優れた海の景観を保護して景観を大切にするためにつくられました。

制度として優れた自然の風景地を保護と利用するために自然公園法に「海中公園地区」が定められ、海中公園という名前は海中公園地区の施設で海中公園地区の自然を紹介することにちなんで付けられました。

橋杭岩詳細 橋杭海水浴場

橋杭岩(はしぐいいわ)は和歌山県東牟婁郡串本町の観光名所で吉野熊野国立公園に属している。同町の大字鬮野川(くじのかわ)の小字橋杭の、紀伊大島に対向する海岸から紀伊大島方面へ南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって大小約40の岩が連続してそそり立っており橋杭岩とはその岩の総称なのである。直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来る。

伝承によると昔弘法大師があまのじゃくと串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行い弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところであまのじゃくがこのままでは賭けに負けてしまうとニワトリの鳴きまねで弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせ、弘法大師は作りかけでその場を去ったために橋の杭のみが残ったということになっている。

橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。また、国の名勝や国の天然記念物の指定も受けている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

じゃらんネットで予約する 串本ロイヤルホテル

本州最南端、平成10年オープンの大型ホテルで温泉&美食


本州最南端の海を臨む高台の南国ムード満点の大型ホテル。自慢の「黒潮の湯」は名勝橋杭岩や太平洋の絶景を一望する大きな露天風呂。サウナ付大浴場もあり日頃疲れた心身を存分に癒しては。

エルトゥールル号遭難慰霊碑

エルトゥールル号遭難事件(えるとぅーるるごうそうなんじけん)とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号Ertuğrul Fırkateyni)が、和歌山県串本沖、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難した事件。この事件は、日本とトルコの友好関係の起点として記憶されている。

現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号遭難慰霊碑およびトルコ記念館が立つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。

エルトゥールル号

木造フリゲート艦エルトゥールル号(1864年建造、全長76m)は、1887年に行われた日本の皇族、小松宮夫妻のイスタンブル訪問に応えることを目的に、訓練不足のオスマン帝国海軍の練習航海を兼ねて日本へ派遣されることとなった。

1889年7月、イスタンブルを出港。数々の困難に遭いながらも、航海の途上に立ち寄ったイスラム諸国で熱烈な歓迎を受けつつ、11ヶ月をかけて翌1890年6月ようやく日本に到着した。横浜港に入港したエルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エルトゥールル号が座礁した地点

1890年(明治23年)9月16日夜半、エルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ、紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし、沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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